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遊ぶ力は生きる力 感想

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「保育は遊びを通して行われる」と保育所保育指針にあるので読んでおいて損は無い。
程度の感覚で買ったけど、実際は「遊び」が幼児に与える効果が詳しく解説されており
(むしろ幼児に限定さている気がして、保育士や幼稚園教諭の為に書かれた本?)
幼児に遊びを教える保育士にとっては予想以上にバイブルになる。

遊びとは勉強以上に重要になっている。
むしろ遊びを土台に勉強をはじめ生きていく力の基礎が培われる。
積木という固形物を組み合わせることにより形あるものを作ったり
河原の石をも、水を切って遊んだり落書きしたりに使ったり
そういった創造性を培ったり
それを思いつくまでの忍耐性を培ったりするのが「遊び」の特徴。
そして遊びを通して友達と交流することでコミュニケーション能力が培われる。
一言で言えば「遊び」は人間が生きていく上で様々なことを幼児に教えてくれる。
むしろ社会に入ってからも仕事をやっていく上で想像し創造していく上で
このような能力がキメ手となる。
そういった内容。
(後半は書くことが無くなったのか、ひたすらオモチャを自分の見解で紹介しまくって終わってるw)

私は何度か語っているが、保育士として「アイカツ!」や「NARUTO」を園児に紹介しようとしている。
受動的な映像はけっこうマイナス口調で書かれているし
ソレばかりを押しつけることは良くないことだが
「三角コミュニケーション」と言われ、アニメ等を媒介して
幼児と話題を共有する
ことはコミュニケーション能力を上げ
物語の展開を予想し、大人の方からも「質問」していくことで想像力も培われる。

-こう書くと「遊びには意味」があり大人側が
「この遊びにはこういう効果があるから子どもにさせよう」とすることが是とすると
思われがちかもしれないが、遊びだから「させて」はダメ。
飽く迄遊びに意味を見出すのは子ども自身。
注意すべき点は偏らないこと。
やや否定的に書かれていた気がする映像もコミュニケーションや想像性を培う一方
やはり受動的にならざるをえない。
それを考慮するとバランス良く他の遊びも紹介していくことは
「させよう」という遊びとしては好ましくない姿勢とは別に必要なことだと思う。


まぁ・・・だから私もアイカツ!ばかり園児に紹介することは出来ないかな(笑)
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未来の法 感想


たしかタダで貰った。幸福の科学の本は内容が薄っぺらい
(どの本も同じようなことばかり書いてある)
しかしまともに買うと2000円くらいかかるので、お近くの精舎に行き
売れ残ったものがたまに無料配布されているので、それを貰うといい。

簡単に言えば「自己啓発本」
見るとビジネスや勉強にやる気が出てくる系の本。
折れない心。未来の”ビジョン”を描くこと意味。
「より明確な未来ビジョンを描き実践出来ること=才能」
思い描いたことが現実になるってのは事実。
そりゃ1年や2年じゃ
「失敗した。試験に通らなかった。全然思い通りの自分にならないじゃないか!」
と思うかもしれませんが、10年や20年のスパンで考えるのなら
なるほど確かに10年前に強く思い描いた通りになっている
。と私は思った。
強く心に描いたビジョンは10年経てば実現します。
飽く迄「強く」ですが。なんとなく「漫画家になりたいな~」とかならダメです。

10年前は本当に切羽詰まってて、なんとしてもこの如何ともしがたい人生を逆転する!と
意気込んでいたので這い上がってこれましたが
今は「なんとしても!」ってものが正直無いなぁ。どうなる私の10年後。

もう数年後に病気か交通事故で昇天したりとかは避けたい。

恍惚の人 感想



アタック25に出ていて、さくらポリスさんとちょっと話題になったので読んだ。
(なんという適当な切っ掛けw)
本当は年末年始、帰省していた時に読了する予定だったけど
1日早く戻ってきたので、今読み終わった。


内容は『老人問題』
茂造という突如ボケた老人に昭子(主人公)を中心に一家が振り回される話。
徘徊するわ突如病気になるわ排泄物をばらまくわ
そもそもコミュニケーションが取れないわ
こうなると親族と雖も冷たいものです。茂造の二人の子供は颯爽に茂造を見放し
穢れた仕事すべてを昭子に押し付ける。
「ボケた老人はお荷物になるのでさっさと死んでほしい」
そういう本音が頻繁に出てきて、綺麗ごとを除けたリアリティがこの本から垣間見れる。
本来なら介護すべき2人の茂造の子供から介護を押しつけられた昭子は
決して投げ出さずに、がむしゃらに茂造の世話と仕事の両立に奮闘する。
昭子は舅の(ボケる前の)茂造からいびられまくっていたのに
ボケた後の茂造をここまで懸命に孤軍奮闘の介護をする様は感心の領域を通りこしている。

そんな昭子も心の底では罪悪感を感じながら茂造にさっさと死んでくれないかな~
と思っていたのですが、ある事件をきっかけに心の底から「生きて欲しい」という考えに変わる。
そこからの茂造の様子。
赤ん坊が幼児になりだんだんと成長していくのとは逆に、
まるで幼児から赤ん坊に帰っていくかのような。

これが・・・生きるってことの神秘なのかなと思った。
老いとは忌避するものではなく、
生命の始まりと同じく生命の終わりとして同じように受け入れるもの。
アニメや漫画では最終回が第1話と符合しているってのはよくあることですが
人間の生命(人生)もまたそれに似ているのだと思います。
・・・例えとしてちょっと陳腐かな?
(例えばアイカツ!では、第1話から紡がれたいちごの美月対する憧れから始まったアイドル活動は
最終回101話であかりのいちごに対する想いへと綺麗に繋がって物語は終わる。)

「恍惚の人」という文学作品を語る時までアイカツ!引っ張り出してくるとは・・!
と思うかもしれませんが(基本このブログ アイカツ!全面推しだし)
星宮いちごではなく「アイカツ!」というアニメ全体で考えるのなら
「恍惚の人」で私が感じ取った「人の人生」を例えるのにあまりも適当であったのです。
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